給食の話をすると、人との溝が埋まる♪

こんにちは。
沖縄好き、ゆるゆる健康アドバイザーの名畑(なばた)のぞみです。

給食にどんな思い出がありますか?

給食が始まったのは、山形の鶴岡が最初と言われています。
小学校でお昼ご飯を食べれない子供たちが居たため、おにぎり、魚、漬物が出されていたようです。
それが、明治22年のことでした。
20160609
(画像は、学校保健センターよりお借りしてきました。)
本格的に全国的に始まったのが、昭和21年で、その頃は脱し粉乳が出ていたようですね。
よく、「脱脂粉乳がまずくてさ~」と言う話を聞きます。

私の頃は、既に牛乳で、時々コーヒー牛乳も出ていたんです。
白牛乳に、コーヒーの素を入れるんですが、そのまま入れると溢れるので、少し牛乳を飲んでから入れるのがコツでした(笑)
コーヒー牛乳の日は、みんな大好きで、コーヒーの素を入れた後は、一斉に瓶を頭の上に上げて、粉がしっかり溶けるまでストローでかき回していましたよ。
一斉にですよ。
その光景を、今思い出すと、ちょっと笑えます。

週に2回ご飯と、食パンの給食が4回!
私が小中学生の頃は、土曜も給食があって、ご飯は欲しい分だけもらえたんですが、食パンが3枚と多かったんです。
残しちゃダメ~~と言われていたので、食パンはティッシュに包んで、近所のウサギさんにあげていました。
ウサギさんにあげるのを忘れると、カチカチになった食パンが通学バックにごっそり溜まって困ることもしばしば。
おかずは、結構和食が多かった記憶があります。
楽しみだったのが、月に一度の「お楽しみ給食」!
何が出てくるかワクワクしてました。
あ~~でも、砂糖たっぷりのあげパンは定番でしたけどね。

給食って、地域性が大きくて、出身地によって違ってくるんですよ。
先日は、食パンは給食では出て無くっていつもコッペパンだったとか、ソフト麺が嫌だった~とか、いろいろな話が出てくるんです。

ちょっと仲良くなりたい~~と言う人とは、昔の給食の話をしてみてはいかがでしょうか?
プチ盛り上がること間違い無しですよ。
そして、みんなが笑顔になります。

あなたの給食はどんなでしたか?

名畑 のぞみ

名畑 のぞみ

山形県庄内町出身、横浜在住。 病院に医療事務として勤務後、健康食品の会社に勤務。 子供のアトピーや、親の胃がん、脳梗塞などから、病気にならないには何がいいのか、どうしたらいいのかを深く追求し始める。 サプリメントアドバイザー、フードライフコーディネーターの資格を持ち健康食プロデューサーとして日々食のことを発信しています。 人は食べ物から出来ているので、体に合った良いものを食べればおのずと病気も遠ざかります。忘れがちなことを、いつものご飯から改善して家族の笑顔を守ろうと活動をしています。 ・講演 ・脳にいい簡単レシピの提案、健康料理の記事制作 ・健康料理教室の主催 ・各種イベントの企画などの活動しています。 お気軽にお声かけください。 詳しくは「名畑プロフィール」をご覧ください。

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